私とCOVID-19の3年間

おしごと

ごきげんよう✨ささみんです。
いよいよ明日(2023/05/08)、日本におけるCOVID-19の感染症法上の扱いが、2類相当から5類に変わります。
私は3年間、ナースとしてどう働いてきたか振り返ってみたいと思います。

2020年1月29日、武漢から日本人を乗せた第1便のチャーター機が到着し、都内の病院に運ばれた方もいたと報道されました。
当時私は都内の精神訪看ステーションに勤務しており、その日は利用者の受診に同行していました。
病院の地下駐車場に降りていくスロープに沿って、マスコミと思われる人達が並んでいました。
そう、帰国者が搬送される病院でした。

COVID-19との闘いは、物品との闘いでもありました。
病院と違い、マスクや消毒用アルコール等はネットで注文していた為、手に入りにくくなりました。偶然1人1本買えた70%アルコールを持っていると伝えると、会社から「譲って欲しい」と言われました。
ステーションで使うトイレットペーパーやペーパータオルも、訪問先で安く売ってるのを見つけたら買うようにしていました。

出退勤は、ステーションに出勤してから訪問に出て、ステーションに戻ってから帰宅していましたが、緊急事態宣言が出るようになってからは、車移動していた私達は直行直帰出来るようになりました。
そんなステーションですが、私の都合で2021年9月末に退職しました。そして、10月から保健所で派遣勤務する事になりました。

何故派遣をするようになったのか、それはステーション勤務してた時に懇意にしていた病院が、コロナワクチンの職域接種を行う事になり、ステーションを持つ会社から私を含め10数人が自分の休みにバイトに行った事がきっかけです。
そこで出会った派遣ナースのひとりが保健所勤務していた事があり、とても人間関係が良くて1年半も更新してたと話していたからです。

実際働いてみて、派遣スタッフも、常勤保健師の皆様も、他の職員さんも、色々教えて下さり、嫌な事を言う人がいなかったのです。
仕事は、自宅療養者に電話しての健康観察、外来受診希望者の調整、入院調整、ホテル希望者の調整、食料配送申込等です。途中、ワクチンで一緒だったナースが3ヶ月だけ戻ってきて、一緒に仕事ができたのは嬉しかった(*≧∀≦*)。

私が入った頃は、オリパラの第5波が終わりかけで、徐々に暇になっていきました。本当に仕事がない時もありました。

2021年12月頃、政府の水際対策により、海外からの飛行機に1人でもオミクロン株の疑いがあれば、その飛行機に乗ってる人全員が濃厚接触者という事になり、毎日16時頃にリストがあがり、全員に都の用意したホテルに移動してもらうお願いをする事になりました。
これがまた大変でした。
海外からの方は携帯電話を持ってきても日本で使えるものではなく、仮に使えたとしても国際電話になるので上の許可が必要な為、やり取りはメールかホテル代表電話から部屋に繋いでもらうしかない感じでした。
自宅に帰っている人もいて、仕方なく保健師が検査キットを持って行って、検体回収したりもしてました。

2022年になると、オミクロン株が猛威をふるい、第6波が始まりました。
その頃には水際対策はどこへやら。自宅療養者へのその日の最初の電話が夜の7時になる事もありました。毎日残業してました。
施設クラスターが起きると、入院も決まらなくて大変でした。
夏の第7波も大変でした。
昨年末前からの第8波になると、色々改正されて、全数把握ではなくなっていたので、保健所が健康観察する人は少なくなっていきました。
そしていよいよ5類になるようだということになり、私の契約も3月末までだったので、そこで終了にしました。

5類になったからと言って、COVID-19がなくなったわけではないです。
これからも手洗いうがい、感染対策は今までと同じように行って、楽しむ時は楽しめたらいいと思います😊

ではでは👋

コメント

タイトルとURLをコピーしました